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『インド仏跡巡りの旅』

2015年3月

混沌の国インド

総勢24名の檀信徒による7泊8日、過酷な日程にも関わらず無事帰国できました。私にとって13年ぶりのニューデリーは、空港が近代的になり地下鉄もできて一見大きく変化していました。しかし地方では以前のままの混沌としたインドが確実に残っていました。
 新たに整備された有料の国道2号線とのことですが、路線バスは屋根まで人を満載し、外から窓枠にしがみついている人までいます。その上信号機がなく、我先に交差点に突っ込む車で大渋滞です。さらに料金を払いたくないトラックが料金所を迂回し、本線に合流するところでまた渋滞。痺れを切らした車がどんどん逆走して、すれ違いでまた渋滞というありさまでした。
 予定時間など全く当てにならず、目的地に到達できずにキャンセルする事態も。そのため現地風に男女ともに青空トイレになり、暗がりで人の糞を踏むウンの付いた人まで。こうしたハプニングのたびにバスの中は大爆笑。「こんな旅初めて!」と興奮に包まれました。
 

霊鷲山に吹く風

3日目、ようやくたどり着いた霊鷲山の入口は各国からの参拝者目当ての物売りや、物乞いで相変わらずの賑やかさでした。バスを降りて山上までの登り道を30分ほど、妙光寺の小旗を先頭に持参した団扇太鼓を叩いて進みます。
 しだいに物売りの姿は減り、右手眼下には緑の森が開け、左手の岩山にはサルが戯れています。2500年前、この地で晩年のお釈迦様が『法華経』を説かれ、未来までも語り続けると遺されました。この山は私たち法華経信仰者にとっての聖地であり、死後の行き先と言われる霊(りょう)(鷲)山(ぜん)浄土です。
 先着のタイからの団体に続き、全員で線香を供え読経し、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えました。隔てるもののない山の上なのに、チーンと鳴るりんの音が静かに響き、お経の声が耳にしっかり聞こえます。やわらかい風がフワーと頬をなで、お釈迦様に包まれている実感がふつふつと涌いてきました。
 下山の道すがら、皆さん口々に「こんな感動初めて」「登り道がきつくて途中で止めようかと思ったけど、行って本当によかった」とおっしゃっていました。
 

生と死を想う

4日目のヒンズー教の聖地バラナシでは早朝、毎日国内各地から集まる信者によるガンジス川での沐浴を見学しました。ヒンズー教徒は、死後ここで火葬されて川に流されることを最高の喜びとします。
 ここで『死を待つ人の家』の訪問が許されました。老後に家族と離れてこの地で暮らし、最期を待つ人のための施設です。80代の女性は「今の暮らしに満足し死後に何の不安もない」と淡々と語ります。同行した娘の良恵に老婆のひとりが「あなたが幸せでありますように」と、頭に手を添えて祈ってくださいました。小さな窓だけの牢獄のようにも見える建物でしたが、きれいに掃き清められ、異臭もしません。清潔感さえ漂う室内に皆感動して、朝食の宿に戻りました。
 わずかな体験ですが、混沌と、仏様の境地と、生と死を想う一端に触れられたと思います。
 

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