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『移ろう世の中で変らない心』    小川英爾

2017年7月

 

昔の風景
 先代住職の妻だった母が東京の品川区五反田から嫁いできた当時、寺に電気は通じていなかった。その母が肥え桶を天秤棒で担いでいる畑の脇で、遊んでいた幼いころの記憶がある。妙光寺にも、そんな時代があった。
 あのころはまだ300年来の行事である4月の『ご判様』が一昼夜丸2日間続き、本堂は立錐りっすいの余地なく、境内も露店が立ち並び人で溢れかえった。お参りの人は冷え込む本堂で夜通しの説教を聞いた。しかし昭和の終わりころには参詣者も減った。近年は期間を1日に短縮して、かろうじて継続している。
 毎年8月1日早朝のお盆参りには、本堂や客殿で墓参りを終えた家族が朝からそれぞれ円陣を組んで、持参の弁当を広げる光景があった。爺ちゃん婆ちゃんは昼前からお寺の法要に参列してお斎に着き、若い親子は海水浴に出かけて行った。お盆の墓参りは子ども時代の楽しい家族の一大行事だったと、懐かしそうに語る人はまだ多い。家族連れのお盆参りは今も続くが、賑わうのは墓地のみで本堂に往時の光景は見られない。

隣村『五か浜』
 自動車道が作られて車なら5分で行ける隣村五か浜だが、昭和40年ころまで寺からは波をかぶるような磯づたいの小道を1時間歩いて行くしかなかった。
 お盆の16日朝父親に起こされて5時前に寺を出る。8時過ぎには各家がご先祖様を送りに墓地へ行くから、それまでお盆棚にお経をあげて回る。13日夜から別の村々を回って疲れているので、小学生当時は辛かった。
 ある秋、五か浜での法事で父に連れられて行った。夏と違い人気のまったくない砂浜の道は寂しかった。五か浜集落の背後の垂直に近い岩山で、紅葉の中を滝が流れ落ちている。時間が止まったような不思議な世界を見た思いがした。いま五か浜には何世帯が暮らすのかわからないが、最盛期に40軒いた檀徒は、いまは3軒になった。

移ろうものと残るもの
 諸行無常=u世の中は移ろいゆく」がお釈迦様のお言葉だが、近年その速度がとても速く感じられる。昔の光景を懐かしく思うのは加齢のせいだろうが、ほのぼのとした思い出が多いのは、物質的には恵まれなくとも幸せだったのだろう。
 22歳で住職に就いて、旧い因習にほとほと困ったことも一度や二度ではない。一方でそんな時に救いの手を差し伸べて、優しくしてくれた人の顔が忘れられない。
 世の中が豊かになって、交通や通信手段、買い物等々各段に便利になった。思えばそのころから行事に集まる人が減少し、活気が薄らいで味気なくなったような気がする。変化は致し方ないが、味わいを残しつつ新しいことへの対応も取り組んできたつもりだ。
 この度懐かしい時代の記録写真集『昭和の記録・海の村山の村』が出版され評判を呼んでいる。(妙光寺でも購入可、2千円)消えゆく故郷の風景を撮り続けた斉藤文夫さんの写真は10万枚を超えるという。写真集のなかに昭和30年代の妙光寺の風景が何枚もあり、しばし感慨にふけった。
 単なる郷愁ではなく、時代がいかに移ろい形は変っても、失ってはならない人の心を伝えていく寺でありたいと改めて思う。
(今年の送り盆では写真展と斉藤さんの解説があります。)

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