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妙光寺 その空間の魅力 −百年後につなぐ思い−

2016年12月号

新倉理恵子

 「妙光寺は、いいお寺ですね」「立派なお寺ですね」と言われると、壇信徒の私たちは本当にうれしくなります。「境内と本堂の美しさに感激して、このお寺に決めた」と語る方も少なくありません。
 そんな妙光寺で、幾度か作品展示を行ってきたアーティストの皆さんに、妙光寺の魅力を語っていただきました。
 

増井伸一さん(64歳)
 写真家。新潟市で「スタジオ・ポートイマジン」を営む。ポートレイト写真の専門家で、毎夏送り盆≠ナも一日写真館を出店している。安穏会員。

大倉宏さん(59歳)
 美術評論家。新潟市美術館学芸員を経て、新潟を拠点としたフリーの評論家として活動中。NPO法人「新潟絵屋」代表。安穏会員。

中野亘さん(63歳)
 陶芸家。新潟市出身。30年前から滋賀県に窯「亘工房」を設け、活動している。妙光寺では4年に一度、個展を開催。

Q.妙光寺とのご縁のきっかけを、お話し下さい。
増井 2000年ごろ、妻の父が安穏廟にお世話になることになって、妙光寺に伺ったのが最初です。院庭の回廊も素晴らしいし、本堂も広い。「ここで写真展をやりたい!」と思って、おそるおそる小川住職にお願いしたら、簡単に「いいよ!」と言ってもらえました。私自身もお寺の生まれですが、案外お寺は閉鎖的で催事は得手でないんです。今はコンサートなどをするお寺も増えましたが、当時は珍しいことでした。そして2001年に『和顔施わがんせ』、2013年に『跳んだり、はねたり、笑ったり』と二度の写真展をやらせていただきました。
中野 私は新潟でも幾度か個展をしていましたが、ギャラリー以外のところでやりたくて、場所を探していました。私の友人が、偶然増井さんとも知り合いで、増井さんの『和顔施』を見に来て「ぴったりの場所をみつけた!」と妙光寺を紹介してくれました。実は、妙光寺の梵鐘を作った『金寿堂』という会社が滋賀県にあって、そこに努める友人から妙光寺の話は聞いていたんです。これはご縁だと思って、彼が撞木を直す時に、妙光寺に同行しました。2001年の秋でした。とにかく清々しい寺で、今まで経験したことがない気持ちになりました。2002年に一回目の個展をやり、以来四年おきに開かせていただいてます。
大倉 そこで私が出てくるんですが、その増井さんと中野さんの共通の友人が私とも知り合いで、2002年の中野さんの個展の批評を新潟日報に書いてほしいと頼まれまして、それで妙光寺に来たんです。院庭の中央に『ひそやかな韻律』という球体を重ねたオブジェが展示されていました。
増井 そうそう、その『ひそやかな韻律』の写真を撮ったのが、私です。
中野 あの批評は、うれしかったなぁ。素敵な文章でした。
大倉 中野さんの個展ももちろん素晴らしいんですが、展覧会をするお寺というのは本当に珍しくて素晴らしいと思いました。もともと寺というのは文化を創りだす場所だったのですが、近代ではその機能は失われてしまった。文化を発信する寺が身近にあるということが新鮮でした。
Q.展覧会をやる場所として、妙光寺にある特別なものとは何ですか?
増井 私はスタジオで『ロングランフォト』という取り組みをしています。10年かけて一冊の家族写真集を作ろうという取り組みです。家族は、人数が増えたり減ったり、形を変えていきます。お寺には過去帳≠ニいうのがありますよね。家族の歴史を表す過去帳≠フ発想と、家族写真をつなげてみたい。お寺で家族写真を展示することで、家族写真への理解が深まるのではないかと考えたのです。
中野 初めて妙光寺の院庭に立った時、すごく発想が生まれる感じがありました。そしてまずオブジェ『ひそやかな韻律』を、ここに置きたいと思いました。2002年の個展では、院庭の空に広がるイメージ、縦の意識を重視した展示をしました。2006年は、院庭にペルーの織物を広げて、横の広がりを考えました。どれも、妙光寺に展示して作品の意図が完成すると感じました。2010年は、モンゴルの遊牧民の家―ぱおを置きました。包むイメージです。妙光寺は、山に包まれていますから。2014年は、京住院で一ヶ月の個展をやりました。この時は、妙光寺と出会い直した思いがありました。一ヶ月滞在し毎朝お勤めの声で起床して、お寺は祈りの場であるということを再認識したんです。お寺には独特の緊張感がある。永い祈りの厚みを、肌で感じました。『ひそやかな韻律』も、言わば天を指す祈りの形です。あらためて、お寺で個展をする意味を考えましたね。
大倉 私は水と土の芸術祭≠ノプロデューサーとして関わっていまして、2012年に客殿の屋根裏に若い女性作家の砂糖製のレリーフを展示させてもらいました。屋根裏は、自然光が下から入りますし、魅力的な空間だと思います。私は古いもの、朽ちていくものが好きなので、客殿の古い梁や柱が好きなんです。昔がここにある感じがしますね。2013年には、画家・渡辺隆次さんの展覧会を妙光寺客殿でやりました。
Q.さきほど中野さんが「妙光寺は清々すがすがしい寺だ」とおっしゃいました。清々しさの正体は、何だと思いますか?
増井 院庭は本当に素晴らしいですね。私もまず院庭に展示をしたくて、最初の『和顔施』の時は、イーゼルを使って院庭に写真を並べました。寺は閉鎖的になりがちですが、ここは開放的なお寺です。二度目の展示は祖師堂でしたが、建物の中でも外の光がふんだんに入ってきます。この開放感が清々しさにつながっています。でも、たとえ院庭があっても住職の考え方が閉鎖的なら、こうはなりません。小川住職は垣根がない人です。それが、この開かれた空間を作っているんですよ。

大倉 ヨーロッパの教会は、いつでも誰でも入れます。日本では、奈良時代のお寺は学問の場で、回廊で囲まれて偉い僧侶でなければ入れませんでした。その後、寺が祈りの場になっていき、僧侶だけが入れる内陣と誰でも入れる下陣に分かれた構造になりました。ここの院庭は、屋根のない本当に開かれた下陣ですね。
中野 その一方で妙光寺での個展では、来る方々が独特の緊張感を持って来られます。いい意味で少し敷居が高い感じです。普通のギャラリーでの展示とは、まったく違います。来る方にとって、身がひきしまる契機になっているような気がしますね。
大倉 それはやはり祈りの空間だからでしょう。寺は、死への恐怖から一般の人たちをどう救うかを考えている仏への信仰の場です。聖なる場所の気配があるのは当然で、どんなに開放的であってもお寺らしさはなくならない。独特の緊張感も、清々しさを生んでいます。
Q.では妙光寺という空間に、今後望むことはありますか?
大倉 今あちこちに合葬墓や公営墓地がありますが、建てこんでいるところが多いのです。ゆったりと過ごすことはできません。現在の安穏廟は、まだ数十年しか経っていないので樹木も小さいけれど、もっと樹木が大きくなると、とても良くなると思います。百年経ったら、死者に会いに来る人を迎え入れる美しい場所になってゆくでしょう。
 唯一残念なのは、本堂が集成材で建てられていることです。無垢材が理想です。古びていった時に本当の木材の良さが出てきます。形は今のままにして、百年後に直す時には無垢材を使ってほしいと思います。
Q.百年後の妙光寺…ですか?
増井 百年後というのは、夢がありますね。手が届く未来ですから。百年後のイメージを、みんなで共有できたら素敵です。その百年後のためにも、住職が変わっても開放性が維持できる何かが欲しいですね。
中野 京都の清水寺のように、次の修理のために森を創るのは、どうでしょう。百年後のための妙光寺の森≠ナす。
大倉 妙光寺は山と海のつながりの中にあるところが魅力です。そこをもっと生かしていくと、多くの人たちが集まる空間が創れます。松林は松枯れしていくから、タブの木とかを植えたいなぁ。
増井 百年後のための植林ですね。素晴らしい発想です!
夢がつながるお話を、ありがとうございました。

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