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妙光寺茶道部のみなさんに聞く

         −めざすは「法灯継承記念茶会」−

2017年3月号

新倉理恵子

 妙光寺には、昭和29年、後の首相石橋湛山が訪れた時に建てられた茶室があります。その後はあまり利用されずに時を経てきましたが、数年前妙光寺茶道部≠ェ発足し茶室はみごとによみがえりました。昨年は整備工事が行われ、茶室は「湛山亭たんざんてい」と名付けられて、行事のたびにお茶席が設けられています。「湛山亭」に魂を吹き込んだ茶道部のみなさんに、お話をうかがいました。
 

小川聡子さん(74歳)
 茶道裏千家の師範。茶道部の指導を務めている。現在は裏千家淡交会新潟支部幹事長の要職にある。安穏会員。

中原美智子さん(80歳)
 安穏会員になると同時に檀徒に。

添田満さん(71歳)
 安穏会員から数年前檀徒に。智恵子さんの夫。文中では「満」

添田智恵子さん(71歳)
 安穏会員から数年前檀徒に。満さんの妻。文中では「智恵子」

渡辺豊女さん(71歳)
 安穏会員から数年前檀徒に。呉服屋さんを経営されており茶道部の着付けの先生でもある。

岩野洋子さん(65歳)
 安穏会員から数年前檀徒に。

塚野元子さん(60歳)
 茶道裏千家の師範。小川聡子先生のお弟子さん。いつも茶道部指導をお手伝いしてくださっている。

羽豆まりのさん(29歳)
 住職の四女綾さんの友人。「送り盆」スタッフから茶道部員に。

Q.では最初に、妙光寺とのご縁のきっかけを教えてください。
小川 夫が亡くなって、この秋で13回忌になります。東京に家の墓はあるんですが日帰りでお墓参りをするのはきつくて、知人に妙光寺を教えて頂いて、姑にわがままを言って安穏廟に納骨しました。「一時的に」と言っていましたが、今はこちらが良くなってしまいました。
渡辺 二〇〇〇年に会員になって、数年前檀徒になりました。私は呉服店をしていまして子どももいるのですが、お墓が必要だと考えていた時に、お客さまに安穏会員の方がいて勧められました。
智恵子 うちは私が友人に相談したりして、お墓を探していたんです。安穏廟を知ったのは、新聞記事がきっかけでした。
 そうなんです。妻が主導でここに決めました。見に来たら、私も気に入ってお世話になることにしました。そして信行会にも2人で通うようになり、4年前に「決断のときが来た」と感じて檀徒になりました。
中原 私は夫が長く闘病生活をしていて、初めは「お墓はいらない。海か山に散骨」と考えていたんですけれど、ある日夫がふっと「一緒の墓に入りたい」って言ったんですね。散骨してしまえば一緒ではないので、お墓を探して安穏廟に決めました。すぐに2人で檀徒になって、その後夫は12年前に亡くなりました。
岩野 私は急病で母が亡くなって、お墓がなかったので妹と2人でお墓を慌てて探しました。とにかく四十九日までにみつけたいと必死になって、よそのお寺の合葬墓も見たのですが皆さん一緒の形は嫌だなぁと思って迷っていました。そんな時に父が「お母さんが安穏廟を気に入っていた」と思い出しまして、妙光寺を一目見てすっかり気に入って、父と妹一家と私たちとみんなで安穏会員になったんです。そして私は一昨年、檀徒になりました。
羽豆 私と綾さんは、中学高校時代6年間同級生でした。でも学生時代は家を訪ねることはなかったんです。私は今、接客の仕事をしていて、5年ほど前はかなり悩んで辛い時期がありました。その時に誘われて妙光寺を訪ねて、泊まらせてもらったりして、みなさんとも知り合って、救われた気持ちになりました。利害関係なくお付き合いできる人たちがいて、しかも年配の方と接して教わることも多い。それから、妙光寺に通うようになったんです。

Q.妙光寺茶道部が始まったのは、どういう事情からですか?
小川 数年前、大晦日の法要に出席した時、どなたかわからないんですが――綾さんか玲さんだと思いますが――妙光寺のお嬢さんが、きちんとした所作で戸を開けたてしているのを見かけたんです。これは躾の行き届いたお寺だと感心しました。その後、うかがってみると茶室もお道具もあるということがわかって、これはもったいないと思って、皆さんに「やりませんか」と声をかけてみました。
岩野 一番初めは、信行会の後で、お寺にあったお道具の目録作りをしましたね。3〜4年前だと思います。私は実は、茶道部に入ったという覚えはないんですよ。信行会の後でお稽古をするようになり、そのまま流れで、教えて頂くようになりました。
渡辺 私もお経を習いたくて、毎月第一日曜日の信行会に参加していまして、声をかけて頂きました。仕事もあるので、都合の付く時は皆さんとご一緒したいと思って、教えて頂くことにしました。
小川 私は記録をつけていますが、最初のお茶席は二〇一三年秋の渡辺隆次さんの展覧会ですね。初めは裏でお茶を点てて運ぶだけでした。それから皆さんおてまえ(てまえを)に取り組んで、イベントのたびにお茶席をするようになりました。まぁ、ここまで来るには本当に大変でした。

Q.茶道は皆さんにとっては、どんなものですか?
中原 お茶は本当に、「おもてなし」の心の表現ですね。まず、日常の所作が大事なんです。今まで自分が、どんなに雑に暮らしていたかを痛感させられます。
 私は居合と剣道をやっていたので、正座と袴には慣れていました。でも茶道は、まったく別の世界です。どっしり構えられるような趣味を持ったことがなかったので、自分が変わったと思います。お茶を始めてからは、動きに気をつけるようになりました。
智恵子 本当に茶道部には感謝しています。主人はお茶を始めてから、心持ちが変わりました。主人にとっては、とても良かったと思います。
羽豆 私も、毎日の自分の生活を見つめ直して、私ってこんなに雑だったんだ……と日々反省しています。先生方の日常の所作が美しすぎて、拝見しているだけで勉強になるんです。
岩野 着付けも渡辺さんから教えて頂いて、月に1回お稽古をしています。今日の着物も、古いものを染め直して頂きました。着物の事は渡辺さんを頼りにしています。
渡辺 ここに集まっている皆さんは、本当に妙光寺が好きな方ばかりです。私もそうなんです。だからやれる範囲でお手伝いしたいなぁと思って、楽しく参加させて頂いています。
塚野 私は二十年以上、小川先生に教えて頂いています。先生は私にとっては、家族みたいな存在です。茶道は間口が広いんです。お茶を頂くだけでなく、お道具は美術品だし、お香とも関わっています。空間を楽しむものなので、様々な楽しみ方ができるのがいいところだと思います。
小川 塚野さんは頼りになる人です。私に何かあっても彼女が妙光寺茶道部を指導してくれると思って、ずっと手伝ってもらっています。

Q.それでは、今後の妙光寺茶道部の活動は?
小川 実は4月10日に、裏千家家元が新潟の白山神社にお出でになります。そこで立席のお運びを妙光寺茶道部がすることになって、今から特訓する予定です。6月には、羽豆さんや良恵さんなど若い部員の方と、京都の裏千家家元のお茶室「今日庵」に行きたいと計画しています。

Q.良恵上人も、茶道をたしなんでいるんですね?
はい、もちろんです。法灯継承の後で、「法灯継承記念茶会」を妙光寺でやりたいですね。薄茶のお茶席を2〜3席設けて、紅白のお饅頭を点心にして…。一番最初に良恵さんにお点前をしていただいて、開会するというのがいいなぁと思っています。

それは、楽しみです。今日はありがとうございました。

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