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信心 母から娘、そして嫁へ
新潟市西区 荒川博子さん 78歳  光子さん 51歳

2014年12月号

鎌田義明


 新潟市西区 荒川博子さん 78歳  光子さん 51歳

荒川博子さんは、新潟市山の下で米穀店に生まれた。兄と二人きょうだいである。2歳の頃、生死をさまようほどの胃腸の病気に罹った。ちょうどその時、山梨県から新潟に歩いて修行に来ていた日蓮宗の僧侶に、両親が出会った。胃腸に効くという薬草を頂いて服用し、このお上人にお経をあげていただいたところ、たちまち回復したという。以来、両親は『法華経』の読経とお題目に熱心に励み、博子さんはその親の姿を見て育った。
 中学卒業後、博子さんは家の仕事を手伝うようになった。店は早朝から夜まで忙しかったが、合間を見ては料理など花嫁修行にも励んだ。
 昭和30年、ご主人の和さんと結婚した。和さんは新潟市の中心街を焼き尽くした新潟大火の復興作業のために、鳶職人として県外から仕事に来ていた。結婚を機に、鳶をやめた和さんと共に、昭和35年発展著しい小針の地で、『荒川金物店』を開業した。ホームセンターの走りとして店は大繁盛。生活雑貨や灯油の販売、ガラス修理など、夫の和さんを助けて、仕事一筋に休みなく働き、今年で55年目になる。
 やがて、信仰の場として自然にも恵まれ、日蓮聖人にゆかりの深い妙光寺に墓地を求める。自宅の仏壇には、御前様に書いていただいた曼荼羅御本尊が掛けられ、朝5時から2時間に及ぶ読経と唱題を毎日欠かしたことがない。身延山久遠寺や池上本門寺団体参拝に何度も参加し、七面山にも4回登詣した。昨年の開創700年法要には、娘さんと一緒に参加した。さらにその年の秋には夫婦で生前戒名も授かった。
 時代の波で郊外型の大規模ホームセンターに商売は押され、夫の和さんが病気で倒れたこともあり、店を縮小。電話番に専念して、商売は長男の和俊さんと、嫁の光子さんに任せている。最近は専ら韓流ドラマ≠ニ、6人の孫の活躍を楽しみにしている。
 長男和俊さんの妻光子さんは、旧巻町で兼業農家の次女として生まれた。商業高校を卒業し、地元の信用組合に勤務していた。ある時、光子さんの母親が入院し、同じ病室に博子さんも入院していた。お見舞いにきた身内同士の縁で、和俊さんと結婚。以来光子さんは、商売で忙しいお店で事務を担当し、二児の母親でもある。
 信仰熱心な姑、博子さんの姿を見てきた光子さんは、自分も仏教のことを知りお経を覚えたいと思い、毎月第一日曜朝の妙光寺の信行会に参加するようになった。夏の『送り盆』では太鼓隊として法要に参列、今年10月の東京池上本門寺お会式参拝≠ノも参加した。昨年の信行会の忘年会は都合で欠席したが、大きなフルーツケーキを手作りして差し入れた。「これからは一日研修会や、総本山の七面山登詣にも参加していきたい」と、明るく語られた。

   
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