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信心 元妙光寺東京出張所の大家さん
東京都台東区千束 大滝博之さん(56歳)・浩美さん

2015年3月号

小川英爾


 大滝博之さん(56歳)・浩美さん


東京で3代
 博之さんの祖母ヤソさんは、昭和初期に角田浜から単身上京し、配置薬『毒消し』を背負い関東一円を行商に歩いた。苦労の末、故郷に繋がる上野駅に近いここに土地を求めた。当時角田浜周辺では、こうして出稼ぎで家族を支える女性が多かった。
 次の代の茂さん京子さん夫妻は力を合わせて一大工から大滝工務店に事業を拡大、この土地にマンションを所有するまでになった。
 転居したこちらのお宅へ毎年7月のお盆に住職が伺うと、ヤソさんはじめ家族皆さんで心待ちにして歓待いただいた。
 昭和54年にヤソさんが、その後茂さんに続いて京子さんも亡くなる。苦労がしみ込んだマンション1階の作業場が葬儀式場だった。下町らしく多数の町内の人たち、新潟から、さらに関東に移住した親戚も集まり、人望の厚さが伺われる葬儀だった。
 今、博之さんと弟さんが工務店を引き継ぎ、昔からの職人さんとともに切り盛りする。浅草神社の出入り職人にもなって、三社祭では重役を担う。妻の浩美さんの生家も浅草寺出入りの庭師であり、江戸娘らしい爽やかな気質。2年前鎌倉円久寺での良恵沙弥の得度式、続く身延山の妙光寺開創700年大法要にも夫婦で出席された。忙しくても夏には角田浜の家を開け、妙光寺にあるお墓に詣でるのが家族の年中行事だ。

妙光寺東京出張所
 ある年、住職の双子の娘が東京の大学に進学を希望し、住まいさがしに困っていた。お盆の席で話題になり「ちょうど3階が空いているからぜひ使ってください。家賃は半額、敷金だのなんだの一切なし」兄弟そろって言ってくれた。それでも交通至便な一等地。「妙光寺東京出張所にして、家賃を妙光寺と住職個人が折半すればいい」と会計士に助言された。
 双子の通学拠点であるとともに、住職の関東地区でのお盆や葬儀法事の際の宿泊、さらには檀徒の方の相談事、一時期殺到したマスコミの取材対応、造園や建築設計士等との協議に使用。ときには勉強会で九州から上京した後輩僧侶たちが雑魚寝で泊まることもあった。
 この3月、良恵沙弥が大学聴講を終えて新潟に戻るのを機に、経費削減も考えて閉鎖することにした。フル稼働、大活躍の妙光寺東京出張所の10年だった。
 最初に破格の家賃で貸していただくことになったときの大滝さんの言葉が忘れられない。「亡き親父に、何があってもお寺は大事にしろ。粗末にしてはならないぞって言われてます。僕たちもご前様に使っていただいて光栄です」と。

 
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